最終更新日: 12/12/02
加藤木家の由来
ようこそ加藤木家の歴史のページへ
あなたは このページへの第 番目の訪問者です
(Since 1998/6/28)
加藤木姓の分布
電話帳を繰って調べた結果では、全国554世帯が登録されております。一世帯4名としても、2200名余の人たちが「加藤木」という姓のもとに生きている訳です。(全国の加藤木姓の分布の詳細をご覧になりたい方はここをクリックしてください)
加藤木姓の由来
加藤木という姓は元々現在の福島県に源を発し、約700年前まで遡ることができます。これはわが加藤木家の歴史に関する様々な言い伝え、文献により検証することができます。このサイトでは加藤木の歴史をご紹介したいと思います。まず系図をご覧になりたいかたはここを、すぐに700年の歴史の詳細を読んで見たいと思われるかたはここをクリックしてください。
桜田門外の変と加藤木賞三
故 吉村昭氏の著書「桜田門外ノ変」(新潮社)に蔭の主役として「加藤木賞三」に関する記述が多数あります。これに興味のあるかたはここをクリックしてください。
松浦武四郎と加藤木賞三
99年10月発刊の佐江衆一氏の著書「北海道人ー松浦武四郎」(新人物往来社)に「加藤木賞三」に関する記述が多数あります。これに興味のあるかたはここをクリックしてください。
尚 2011年11月21日、祖父常男の従兄松浦一二郎氏のご子息松浦登巳郎(とみお)氏より加藤木精一に関する情報等を頂き、記述を修正しました。
加藤木重教 と 加藤木三兄弟
電話の 「もしもし」 という呼びかけを発明・普及させた 加藤木重教 に関する情報を取りまとめました。
また 重教の実弟 勝沼(加藤木)富造(福島県ハワイ移民の父) についても 福島県の歴史家 橋本捨五郎さんが 詳細に調査しておられます。 橋本さんのHP の 「九月十一日」 を ご覧下さい。
烈公から賜った短冊
加藤木賞三が 徳川斉昭公(烈公)から賜った御染筆の短冊を 掲載しました。 ここ をクリックしてご覧ください。 (他に 藤田東湖 戸田忠太夫 黒澤止幾子 (わが国初の女教師) らによる短冊も掲載)
枝葉こそ風のまにまに動きなめ 操はたえず立てる松かな 斉昭
明らけき君に類へておろかなる 身をかしこしと人なおもいそ 彪 (藤田東湖)
烈公から 短冊を賜った経緯については ここ をクリックしてご覧ください。
加藤木集落(福島県二本松市)の今
加藤木集落在住の安齋安一様から 現在の加藤木集落の写真を送っていただきました。 ここ に掲載していますのでご覧ください。
家紋について
加藤木家の家紋に付いては 数種類あると考えられます。そこで、これをご覧になった 加藤木家の方は 「家紋のページ」 を参照いただき 異なった家紋があればそれを .jpg ファイルにして Email に添付して送って頂けませんか? 掲載させていただきます。( E-mail address : ken_katogi @ katogi.com )
(上記メールアドレスはスパムのアドレス収集を避けるため @ の前後を空けてあります。 メールを送られる際には 詰めてください。)
加藤木家掲示板
加藤木姓の皆さんの情報交換の場として 「加藤木家の掲示板」 を設けましたので。皆さんここ をクリックして 立ち寄って頂き 書き込みをしていってください。 現在までに 100名以上の方の投稿を受けました。
Jump to: