加藤木家に伝わる短冊

徳川斉昭  藤田東湖  戸田忠太夫  黒澤止幾子

 

徳川斉昭公 (烈公)

枝葉こそ風のまにまに動きなめ 操はたえず立てる松かな    斉昭

 

 以下の詠みは 大阪で古物商「玄海楼」をいとなんでおられる 野元淳 さまに ご教示いただきました。

本当にありがとうございます。  http://www.genkairo.com/

 

藤田東湖

明らけき君にたく(類)へておろかなる 身をかしこしと人なおもいそ   彪

 

戸田忠太夫

玉の緒の絶てもあまる 思ひをは  あらひと神と なりてとけはや   清洲

 

黒澤止幾子

    

ふるさとの 錫の高野を 出てけふ  あすやたゑなる 琴の音そきく    止紀子

 

             

しきしまの やまと心をくみてしる  難波のあしたの露のめくみは    止紀女

聞くからに ?もふかしも ももしきや  ふるき朝の 山ほととぎす   止紀子

黒澤李恭 83歳

 

黒沢止幾子(1806-1890)    我が国最初の女教員、歌人。常陸国東茨城郡錫高野村の修験者黒澤光仲の娘として生まれ、李恭(りきょう)と号した。 長じて同村農黒澤信助に嫁し三子を設けるが26才で夫に死別して実家に戻り、行商をしながら貧しい家計を支え、傍ら俳句・狂歌、和歌を学んだ。 安政6年(1859) 安政の大獄の時、朝廷に烈公の雪冤を歎訴せんと京都に赴いたが幕府に捕らえられ、数ヶ月伝馬町の牢獄につながれる。吉田松蔭処刑の日に放免せられ下野し 茂木村に住む。 その後朝廷より特に禄十石を賜り、1872年(明治5年)錫高野小学校開設されると共に小学校教師に任用され、さらに職を辞してからも私塾を開いて地方子弟の教育に専念した。

 

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加藤木賞三による短冊   霜松院一周忌に寄せる短冊   その他の短冊

 

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