「桜田門外の変」

 

ここでは、平成2年8月20日新潮社発行の吉村昭氏による大著 「桜田門外ノ変」 より、加藤木賞三に関する記述を抜粋して掲載しました。

本著は、井伊大老襲撃事件の指揮を執った関鉄之介を主人公に、丹念な史実の調査に基づきまとめられた労作であり、「加藤木賞三」に関する記述だけでも、ここにはとても書ききれませんでしたので、是非全文を一読されることをお勧めします。

単行本/書籍コード名:ISBN4-10-324221-3 C0093

文庫本/書籍コード名:ISBN4-10-111733-0 C0193

新潮文庫:よ-5-33(上巻)よ-5-34(下巻)

「加藤木賞三に関する部分の抜粋」

単行本9/文庫本上巻13頁:

二人の処刑をはじめ多くの者に対する処罰によって門閥派は没落したが、無気味なのは、行方知れずになっている谷田部兄弟の存在だった。

谷田部がどのような策略をもちいて門閥派の復権をくわだてるか。それが成功すれば、斉昭の身にも災いがふりかかるおそれがあった。そのため、水戸藩では、探索の者を出すことになり、えらばれたのが梅沢孫太郎と住谷寅之介、さらに小人目付の杉浦平蔵、加藤木賞三であった。

四人は水戸を出立し、住谷と梅沢は江戸小石川の水戸藩邸に腰をすえて情報収集につとめ、杉浦と加藤木は東海道から高松方面へ向かった。

「東海道筋の探索については、刺客の斎藤彌九郎殿に御助力をお願いしたが、それが功を奏した。」住谷は、杯をかたむけた。(中略)

十二月十六日夕方、東海道筋を探索していた小人目付の加藤木賞三が、藩邸にあわただしく入ってきた。

話をきいた住谷と梅沢の口から、同時に歓びの声がもれた。加藤木が、小人目付杉浦平蔵とともに谷田部兄弟を遂に発見した、と報告したのだ。(以下略)

 

単行本87/文庫本上巻117頁:

あわただしく水戸をはなれた喜三郎の後を追って、鉄之介が水原村へ行く手筈が組まれた。

喜三郎が出発した日、最後の打合せに北郡奉行所に行った鉄之介は、奉行の野村幣之介から、「加藤木賞三という者を呼んである。出立前にこの男から蝦夷地の事情をきくようにとの江戸藩邸からの御指示があった」と、言った。

鉄之介は、思いがけぬ人物の名に、一瞬、呆気にとられ、「加藤木と申しますと、あの谷田部藤七郎、大嶺荘蔵兄弟を東海道筋で召捕りの折の・・・」と、たずねた。

「その通りだ。表面に立つことはないが、藩のために力をつくしている男だ」野村は、低い声で言った。(中略)

加藤木は、常陸国(茨城県)東茨城郡孫根の庄屋の次男として生れ、江戸に出た。浅草三筋町新堀端に居をさだめて神官の資格を得、同じ常陸国出身の桜任蔵(真金)と識り合った。桜は、水戸で藤田東湖にまなんだ尊皇攘夷論者として知られ、加藤木もその影響を強く受け、桜の媒酌で相模国愛甲郡八菅村の女を妻とした。

かれが師と仰いでいたのは、江戸生れの幕臣であり漢学者であった林鶴梁であった。

林は、御箪笥同心という幕府の小役人であったが、学問にはげんで文才が大きく開花した。これに注目した藤田東湖が川路聖謨に推賞し、林は奥火元番に抜擢され、勘定留役にも昇進した。

藤田に深い恩義を感じた林は、藤田を通じて水戸藩の改革派藩士たちと親しく交流するようになった。

加藤木は、林に漢学をまなぶと同時に、その手足となって雑事を切りまわした。林は、加藤木の誠実な性格と実行力、それに広い視野をもっていることに深い信頼感をいだいていた。

天保15年(1844)5月、斉昭が幕命によって謹慎の身になった時、加藤木は、桜とともに水戸へおもむいて斉昭の処分をとく運動に参加した。水戸の門閥派は、これら士民の摘発に乗り出し、加藤木と桜にも危険がせまったので二人は江戸に逃げもどった。

この頃、加藤木は、桜と親しい松浦武四郎と識り合った。

松浦は、(中略)

加藤木と松浦の新密度はさらに増し、松浦は日記に加藤木を無二の友と記すまでになり、後に加藤木の次男一雄を養子に迎えたほどであった。

また、水戸で謹慎していた藤田も加藤木を深く信頼し、借金の世話までたのむようにさえなった。(中略)

野村は、声を低めると、「これは極秘だが、加藤木は、門閥派の重臣の家に妻を召使いとして住み込ませ、その動きを藤田東湖先生に報告させていたこともある」と、言った。(中略)

廊下に足音が近づき、一人の男が座敷の入口に膝をついた。

「お招きを受け、参上いたしました。加藤木賞三にございます」男が、折目正しく挨拶をした。

「待っていた。こちらへ・・・」野村の言葉に、男は立つと部屋に入って坐った。細面の鼻梁の高い長身の男であった。

(以下略)

 

単行本105/文庫本上巻140頁:

加藤木賞三にも手紙を書いた。

 

単行本144/文庫本上巻192頁:

鉄之介たちは、江戸に潜伏して旅仕度をととのえる予定で、潜伏先について鮎沢が浅草三筋町新堀端の三井国蔵方を指定した。

「加藤木賞三のはからいだ」鮎沢が、眼に笑いをうかべて言った。

「加藤木?」鉄之介は思わず声をあげた。

「そうだ。加藤木に相談したところ、ごく親しい三井国蔵の家なら大舟に乗ったも同然で、その国蔵という男にも話を通じてあるそうだ」鮎沢の眼には笑いの色が残っている。

「加藤木とその男とはどのような間柄で・・・・」鉄之介は、またも加藤木という名が出てきたことに驚いていた。(以下略)

 

単行本228/文庫本上巻302頁:

加藤木の存在が偉大なものに感じられた。それは闇の中での動きで、宝石のようにひときわあざやかな光を放っている。智力と胆力をつくしたひそかな工作で、きわめていちじるしい効果をあげている。

「井伊大老斬奸の企てが、加藤木の働きでその手段がまとまった。われらも、それを基本にして実行方法を練っている」高橋は話し終えると、力強い口調で言った。

高橋がもらした加藤木の動きは想像を越えたもので、たしかに井伊大老襲撃計画の基本にふれていた。(以下略)

 

単行本232/文庫本上巻308頁:

加藤木の努力によって彦根藩邸の情報を得た高橋と金子は、井伊大老の登城を待伏せする方法に変えたという。(以下略)

 

単行本281/文庫本下巻:

「金子殿のもとに加藤木賞三が、短銃を何挺かとどけてあるはずだが、きいてはいないか」野村の顔には、気づかわしげな表情がうかんでいる。

鉄之介は初耳で、「いや」と言って首をふったが、「加藤木が?」と、再びいぶかしそうに言った。

「高橋(多一郎)殿が水戸を出奔する直前、短銃を加藤木に用意させて金子殿の潜居先の薩摩藩邸にとどけるよう手配せよ、と言われた。それで、私が加藤木に使いの者を出したところ、加藤木から御依頼どおり手配いたしましたという書簡がきた。奴のことだから、万々ぬかりはないと思うが・・・」野村は、自信をもっているような眼をして言った。

「加藤木が短銃までも・・・」(以下略)

 

単行本291/文庫本下巻:

「そのことなら加藤木が数挺とどけてくれた。横浜の中居屋重兵衛が、洋式短銃そっくりに製造した短銃でな。(以下略)」

 

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