加藤木賞三（名は正之、後に�o叟と号す）は、文化１２年（１８５１）９月 １８日、常陸国茨城郡孫根（まごね）村の加藤木新五郎正頼（以下新五郎と呼ぶ）と、その妻利与の次男として生れた。新五郎は天明６年（１７８６）生まれ、文化７年（１８１０）父加藤木正道の後を継いで組頭（くみがしら）（庄屋を補佐し、事務を処理する役、庄屋･組頭･百姓総代の三名を村役人と呼んだ）となり、文政８年（１８２５）庄屋に昇格、更に天保８年（１８３７）には、山横目（やまよこめ）（山林の保護監督が任務）の役が加わり、苗字帯刀を許された。

新五郎と利与の間には、賞三の外に長女初子（水戸藩士松崎家に嫁ぐ）と長男七衛門があり嘉永５年（１８５２）に、七衛門が庄屋の役を受け継いだ。この頃加藤木家は、酒造業を営んでいたが、その子孫は今なお孫根に在住している。孫根は現在東茨城郡桂村の一部となり、桂村は水戸市の東北、車で３０分足らずの位置にあり、緑濃い農村である。

賞三の手記は「父上は美男子なれども骨細く、形相（すがた）瘠疲（せきひ）（やせていること）、且つ気性も素直（すなお）純善、謀略に乏しく、母上はこれと異り、醜貌にはあらざれども、丸顔肩怒り猪首骨太く、肉厚く鼻口大きく、美貌とは云い難し。その形体あたかも大男子に異ならず、気質も大丈夫にして、智略才識ありて、豪毅大胆、千百中稀有なる婦人なり」と両親について語っている。

また賞三は「御母上は１４才（数え年、以下年齢は総て数え年）の暮、嫁入り来り候ところ、その身体肥満丈け長くして、容貌恰も１６、７才と相見え、父上は優男子（やさおとこ）にして、如何にも可愛らしきお方なり。俗のたとえに申す蚤の夫婦とは、かの方の御夫婦なるべしと(他人が)話すを先年聞きしなり。われ等（自分）は、体格形相は父に似て、心はまた母に似たりと、人々の申す事なり、その実如何か。」（註１）とも述べている。

利与は、那珂郡野口平（のぐちだいら）村（現在茨城県那珂郡御前山村字野口平）諸沢佐市衛門の長女として、寛政２年（１７９０）に生まれ、享和３年（１８０３）１８才の新五郎と結婚した。彼女については、エピソードが少くない。嫁に来て間もなく、出入りの者や近所の人々を集め、自らの指図で一日のうちに何枚かの田植えを片付け、知らぬ顔をして舅姑の度胆をぬいた。

また藩主徳川斉昭の天保改革が、宗教対策として寺院に強い弾圧を加えていた頃（註２）、新五郎が孫根の菩提寺に、親の追善供養を頼みに行った帰途、誤解がもとで突然僧侶に切りつけられ、片腕切断のほか、１０ヵ所以上の深傷をうけた。新五郎が瀕死の状態で家に担ぎ込まれた時、利与は慌てず騒がず、７日間不眠不休で看護して夫の命を救った。しかもこの時夜間には、自ら仕込杖を持って家の周りを見廻り、僧侶方の動きを警戒した。

その男まさりの活躍に、利与の名は隣村まで鳴り響き「孫根の女庄屋」と呼ばれて、頼まれると夫婦喧嘩の仲裁までしたという。

弘化元年（１８４４）５月、藩主斉昭が幕府から、その施政を非として、１３才の嗣子慶篤（よしあつ）に藩主を譲って隠居の上、謹慎を命ぜられた。水戸藩の士民多数は、斉昭の雪冤（せつえん）（無実の罪をはらす）運動に立ち上がり、後述するように新五郎の次男賞三も、これに参加した。

水戸藩士民の激しい運動は効を奏し、この年の１１月下旬、斉昭の謹慎を幕府は案外早く解いたが、藩政関与は嘉永２年（１８４９）に至るまで許さなかった。このため翌弘化２年になると、斉昭の藩政復帰を求める水戸藩士民の運動が盛り上がった。

加藤木新五郎夫妻は、斉昭の雪冤を願い、利与は氏神に一週間の夜籠り祈願、更に水戸の寺院に詣でて断食祈祷を行った。しかも弘化２年（１８４５）３月、５６才の利与は、片手を失った夫に代わって従者２名を引きつれ、商人に身をやつして江戸に潜入した。苦心の後、伝手（つて）を通じて、斉昭復権の嘆願書を、徳川御三家の紀州藩主に届けることに成功した。このことは後に斉昭の耳に入り、利与は褒状と鏡一面をたまわった。

以上の記述は、新五郎一家が特別に、斉昭雪冤.復帰運動に献身したとの印象を、読者に与えかねないが、孫根村の近隣地域の庄屋達も手を拱いていたのではない。弘化２年３月に、隣村錫高野村（現在桂村の一部）の庄屋鯉淵治平は、自分等の慕う斉昭が、速かに藩政に復帰されるよう尽力されたしとの紀州藩主宛嘆願書を、東海道小田原にて、同藩重役山中筑後守に渡した。またその他の近村の庄屋二名も運動に参加し、うち一名は江戸町奉行に嘆願した（注３）。たゞ加藤木家の場合、当時としては既に老齢の利与が、女性の身で江戸迄出掛けて嘆願したことが、特別な行動であった。

斉昭の雪冤･復権運動に身を投じた者は、孫根村の周辺の住民だけではない。藩内の広い地域に及び、改革派に属する水戸藩士はもちろん、斉昭の施政を支持し、或はこの尊攘派の巨頭を畏敬する庄屋など有力な村役人達と、彼等に率いられた多数の農民であった。そのほか神官や郷医（地方の開業医）なども加わり、一般の人々はこれらの非武士を「義民」と呼んだ。彼等は、いくつかの集団に分かれて江戸に上り（５００人程とか、２００人の記録がある）、老中阿部伊勢守、紀州藩主、江戸町奉行などに嘆願した。

尤も幕府は、このような運動の取り締りを、既に門閥派が主要ポストを占めつつあった藩当局に厳命し、運動関係者の多くは、義民も藩士も捕えられて投獄された。しかも獄での取扱いは残酷で、獄死した者も少くなかった。

ところで新五郎は安政６年（１８５９）３月、７４才で病死したが、利与は夫におくれること１２年余、明治４年（１８７１）１月８２才で永眠した。この「女庄屋」の振舞は、その最後もなかなか見事であった。夕方風呂からあがり、水を一杯所望してグーと飲み、あゝ御馳走御馳走と言うなり事切れた。訃報を聞いて駆け付けた実弟が、予て利与から預っていた葬式費用を持参したという。

（註１） 村山しげる「藻塩草」（私家版）による。著者は賞三の五女桑原直子の長女である。その他本稿は、桂村教育委員会「桂村郷土誌」改訂版及び桂村史談会編「桂史紀要」第三号･第五号掲載の加藤木直執筆の加藤木家に関する記録を貴重な史料とした。同氏は賞三の兄七衛門から四代目の子孫である。

（註２） 大砲を製造するため、寺の鐘や濡れ仏を供出させ、神仏分離を徹底して領内の約１９０カ寺を整理し、葬式も神式で行うよう命じた。

（註３） 水戸史編纂委員会「水戸市史」中巻（四）による。

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