加藤木 精一による

東部ニューギニア戦線

運がよかったの記

 

1)  歩兵102聯隊最後の追及要員、主計中尉3名、兵3名。 18年8月22日日没少し前、東部ニューギニアに向けてニューブリテン島ツルブを大発4杯の梯団の先頭の指揮艇で出発。 当時ダンビール海峡は敵の魚雷艇跳梁。 間もなく機関故障。 他の3杯先行。 艇長懸命に修理。その儘漂流すれば敵占拠の東部ニューギニアのブナに漂着する由。 暫くして前方で砲声・銃声・閃光頻り。 機関修復。 ウンボイ島方面に迂廻して、夜が明け切ってから マングロープの林に接岸。 場所不明。 この間、敵機2回低空飛来。 先行の3杯、船側大破、死者、負傷者を出して約1時間後到着。 後日、上陸地点は 東部ニューギニアのフィンシハーヘン西方のクレチン岬付近と知る。

2)  船舶工兵は夕刻ツルブに引き返すとのこと。 追及要員は 部隊毎に海岸沿いにラエに西進。 我々は足の弱い石塚中尉に合わせて行軍。 行程遅々として進まず。 マンゲ、タミグドなどを経て 9月3日夜 漸くホポイを見下す丘上の教会の廃屋で仮泊。 翌早朝、艦砲射撃の音で目を覚ます。 敵軍ホポイ上陸開始。 あと半日行程先であったら敵の上陸地点。 終日丘上で様子を見る。 昼頃海岸の警備隊はいなくなった。 夕刻土人から数十名の米軍がこちらに来るとの情報。 フインシに引き返すことにする。 警備隊の集積所でできるだけの食糧を持つ。 暗闇の中 崖上の道は危険。 波打ち寄せる断崖絶壁の下を伝って脱出。 数日後フインシに到着。 同地守備隊第1船舶団長山田少将の指揮下に入る。 石塚中尉の足が普通であったら ラエからサラフケット越えをしていたところであった。

3)  9月22日午後4時頃、山田閣下から、ラエからサラワケットを越えて北海岸に脱出する51師団をキアリで迎えるべき旨を伝えられる。 ここ数日、敵機の偵察一段と頻繁。 明朝の出発でよいと言われたが、夜の間に少しでもフィンシから離れることとし、日没前に丘を下りる。 湾内にラエから傷病兵を載せて脱出してきた大発あり、今夜中にシオに向うという。 頼み込んで同船させて貰う。 夜半過ぎ後方に雷鳴とも思われる音頻り。 数千百の明星とも見紛う照明弾。 後日、フィンシに敵の上陸があったことを知る。

4)  10月上・中旬、キアリで102聯隊の主力を迎える。 海岸沿いのジャングルの中で川島高級主計殿に着任の申告。 100米ほど離れた所におられた聯隊長殿に申告中、敵機低空飛来。 反転。 数発の爆弾を投下。 折角サラワケットを越えて来た将兵の死傷者可

5)  軍隊は正に運隊であった。 入営後10日目ぐらいの就寝前の点呼の時に、内務班の兵長殿から 「軍隊の軍には「しんにゅう」がついているんだ。」 と言われた。 もともとある意味における運命論者であった小生(精一)は、特に戦地での出来事について つくづくとそう思っている。 尤も 小生の考えている運命とは、一滴の水が細い糸を伝わって行くといったようなものではない。 他の水滴と共に河の流れの中を行くといったようなものである。 天空からの落下の時期・場所によって直ちに蒸発するかも知れない。 大河の源流になるかも知れず、小川の源流であるかも知れない。 終着点は大海かも知れず塩乾湖であるかも知れない。 途中に渓谷やダムや滝があるかも知れない。 だが その水滴は、自らの力ではその河から抜け出ることはできない。 しかし、その時その時の与えられた情況を可能な限り判断して、その中で、右岸を行くべきか 中央を行くべきか 左岸を行くべきか、水

 

 

 

 

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