精一による強盗の記録

 

精一自身が 昭和36年(1961)12月16日夕刻の強盗事件についての警察調書の原稿と思われるメモを残しており、壮年期の精一の冷静さと剛胆さがよく現れているので、参考までに記しておく (仮名遣い等原文のまま):

 

経過報告:12月16日宵、私が私の家の4帖半の茶の間で家族と一緒に夕食を終り、テレビ(ウッドペッカー)を見終り、その後雑談をしていた処、門のブザーが鳴りました。何時ものことですから、家内が来客か何かと思い、既に閉めてあった玄関を開け、門にでました。

何か二言〜三言、家内の声と男の声がして、(後で、家内の話では、”加藤木(かとうぎ を正確に発音したとのこと)さんのお宅ですね。御主人いらっしゃいますか””はい、おります、どなたでいらっしゃいますか””渋谷の大橋です”と云った応答だったそうです。)、家内が”渋谷の大橋さんですが”と云って戻ってきました。私は、渋谷と云えば、私の勤務している会社(大成建設)のアパートがある処だが、大橋と云う社員はいないし、知り合いもないし、誰かな と思って立ち上り、”大橋?知らないな”と云いながら玄関に出ようとしたら、玄関の板間に靴の儘の男が 左手で手袋を持ち顔の下半分を隠すようにし、右手でピストルをつきつけて立っていて”動くな”と云って私を制しました。私は瞬間ギクッとしましたが、今時本物のピストルがそうざらにある訳でもなし、見た目も何となく玩具のように見えたのでしたが、”何をするんだ”と云って立ち止まりました。家内は、来客の場合 何時も座敷に通すので、ストーブを座敷に持って行こうとして、丁度、私の直ぐ右脇に立った儘でした。2人の子供(次男と長女)は炬燵にあたった儘で、長男は私の後に立って新聞を読んでいた という格好になってしまいました。

彼は、”大きな声を出すな””この家には電話はないんだろう。ちゃんと調べてあるんだ” と云うので ”ある” と云うと ”何処だ” ”此所だ”。その時、相手は一瞬ギクッとした様子でした。家内が ”前は警視庁官舎よ” と云うと、”判っている” といい、 ”大きな声を出すな、金を出せ” ”金は此所にはない。持って来てやる。” と云って私が私の背広を掛けてある座敷に行こうとすると、また ”動くな” ”動かないで金が取りに行けるか” ”おぢさん震えているな” ”お前も落着け、つまらねえことをするな” などと問答をして、時間をかせぎました。きっと家内も子供も人相などを見ていてくれるとか、隙があったら外に出て誰かを呼ぶことができると思ったからです。

その間、相手の人相やピストルなどを見ていましたが、どうも玩具のようなので、前記問答の間に、静かに相手の右手を2〜3回 除けて見ましたが、案外素直に動きましたし、同時に若干ピストルにも触れて見ましたが、本物のピストル特有のあのズシリとした重みや触感が感じられませんでした。

なお、筋金入りのやくざでもなし、流しの空巣が居直ると云った態度でもなし、何か線の弱い学生か勤め人と云ったムードが感ぜられました。相棒が表にいるかなと思い角度の関係で余りよくは外が見えませんでしたが それでも耳を澄まして 玄関の外を見 注意しましたが それらしい気配は感ぜられませんでした。

兎に角、仮令、玩具にしても新聞などで10米乃至30米も弾の出る危険なピストルもあることを読んでいましたので、万一の事を考えて、金をやって帰す方が安全だと思い、まさかの時には子供達と3人で格闘すれば負けない程度の男だと考え、無理に座敷の方に行こうとしたら、”奥さんも” と云い乍ら、ピストルで家内に私の後を行くように指示し、子供達にも ”皆んなも行け” と云い、長男がノッソリと立っていたので ”坊やも” と更に促しました。家内を始め皆が ”何もしないよ。電話なんかかけないよ。大丈夫だよ。” などと云っていましたが、私は、”さあさあ皆んなこっちにおいで” と云って、私が男の傍に並んで、その前を通して家族を座敷に入れ、続いて私も入り、壁に掛けておいた背広のポケットを探しましたが、晝の中 買物をして机の上に置いたことを思い出し、(この時、家内が ”あっズボンのポケット” と云ったと記憶します。)、廊下の机の方に行こうとしたら、また ”何処え行くんだ” と云うので、”金を持って来るのだ” と云って 机の上から財布を取って来て、中に2千円(千円札2枚)入っていたのを出して渡し(色々な事を考えできるだけゆっくり動作しました)、”くれてやるから早く帰れ” と云いました。

男は、相変らず左手で顔をかくし、右手でピストルを持った儘 金を受け取り、”有難う、有難う” と云って、後ずさりに玄関に出ようとしました。私が ”十分間は警察には云わないでやるから早く帰れ” と云うと、”俺も人殺しにはなりたくないからな” ”お互い様だ” ”本当に云わねえな” ”男の約束だ。くどい。だが、おい、名前位は名乗って行け” と云って、”俺は大倉組だが…” と云いかけると、”うん、知っている。技師屋だろう” と云うので、続いて、 ”お前は何処の者だ” と云うと、”東セイ会の大橋だ” ”東セイ会はヒガシのタダシイか” ”東の声だ” ”あゝ、東声会か。東声会の者なら会社にも来てる。名刷も貰ったことがある” と云うと、”うーん” と云って一寸変な顔をしました。

そして、土間に降り立って、ヒョイと屈んだので、見ると、紙袋(クリーム色か、山吹色の地に朱赤の不規則立縞模様がある、よくデパートなどで買物をすると入れてくれる袋。中身は角張らず何かシャツのようなものを丸めて入れたと思われるような柔味を帯びたふくらみ)を拾い上げて、玄関を出て行こうとしました。

私が ”玄関はしめて行けよ。” と云うと、半歩位戻って斜身になって閉めました。”あゝ、門もだ” と云うと、門の扉をしめる音がしました。後で見ると完全にではないが合さっていました。(後で考えて見るとあけ放しにさしておいた方が逃走方向が判ってよかった と思いました。)

一同で茶の間に戻って時計を見たら丁度8時25分でした。

彼が入って来てから帰るまでは、多分5分位ではなかったかと思いますが、若しかしたら10分位であったかも知れません。

其の後 6〜7分位 茶の間で様子を見たり、各部屋の戸締りを今一度調べ直したり、ついでに耳を澄ませて庭や裏に注意したりして、其処らにひそんでいないことを確認して、向いの警視庁官舎の片渕少年課長さんのお宅に伺ってお話をし、貴署に連絡して頂いた次第です。 以上

参考:

@ 最初に家内に ”渋谷の大橋” と名乗り、時経て私の質問に対し瞬間的に ”東声会の大橋” と答へている処から見ると、或は親友に ”大橋” がいるとも考えられるが、本人が ”大橋” であると思われる。

A 技師屋という言葉は聴き馴れないが、犯人が勤め人とすれば 技師という言葉で ”技術屋” を呼んでいる官庁、会社ではあるまいか。

B 門札を見ただけで かとうぎ と最初から正確に発音できる者はない。

C 全般から判断して 実際の拳銃を取り扱ったことがないと思われる。*拳銃を擬したときは1米以上離れていなければ有効でない。*銃口は相手の胸または顔に向けていなければおどしの効果が薄い。*況んや 相手に拳銃を触らせるなどということは有り得ない。

D 2,000円だけで、しかも礼を云って素直に帰った処から見ると初犯ではなかろうか。

E 板間の上を歩いて音がしなかった処から判断するとラバソールではなかったかと思う。

F 別室に人がいるかいないかを調べてもいないし、聴きもしない。家族構成を知っているか、不馴れなためか何れかであろう。

 

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